夕暮れの薄闇の中、その火は旅人達の帰りを待つように揺れていた。その灯りに照らされて、一枚の木の板がその存在を主張していた。作られてからもう半世紀以上は立っているだろう。表面に塗られていた上塗り剤はもう殆ど剥げ落ちて、作りたての木材にあるようなつやつやとした光沢は見られない。その木目はまるで老人の皺のように深く、灯りの動きに合わせて黒い影をちらつかせる。明るく談笑する冒険者、仲間を失って暗く沈んだ冒険者。こいつは一体何人の冒険者を見届けてきたのだろう。私がここに滞在して二ヶ月になるが、何度も顔を突き合わせるような冒険者は多くはない。精霊協会に雇われたような冒険者でもない限り、彼らは一所に留まることはない。それが冒険者だからだ。留まって得られる利益よりも、新たな地域での出会いを求める。あと二ヶ月も滞在したら、私がここにやってきたときからいる顔なんて殆ど消えてしまうのだろう。
その木の板に一つだけ、とって取り付けられた金属の取っ手。その表面はたくさんの人間の手ですり減って、表面に塗られた金色の光沢はその端の方にしか残っていない。外の空気に冷やされたそれは、ひんやりと私の手に冷たい挨拶をする。体重を少しかけてそいつを前に押してやると、キィ、というと音を立てて部屋の中の灯りがあふれ出す。コーンスープの甘い匂いが、私の鼻を掠めていく。あの飲み物はこの宿の娘さんの得意料理らしく、私がやってきた日にも振る舞われていた。私の手が取っ手を解放すると、ギィィ、という重苦しい音を立ててそいつは元の位置へと戻っていく。この宿の明るさを外に逃がさないように。この食事の匂いを外に漏らさないように。そう考えるとこいつは、どうしようもなく独占欲の強いやつなのかもしれないな。そんなどうしようもないことを考えながら、私はいつものように前へとこの足を進める。
それが、ドアだ。それがドアだったはずだ。
なのに私の目の前に鎮座しているこいつはいったい何なんだ? きんきゅうぼうえいシステムを作動します? もしかしてこいつはドアに擬態してるただの精霊兵なんじゃないだろうか。いやむしろそうであって欲しいそうでなければ私の心の平穏が保てない。そうやって私が呆然とそいつを眺めている間に、アマーリアが何かよくわからない金属を握りしめて帰ってきた。同年代の一般人にナめられてはいけない。私はいつものように余裕を保った笑顔を作って、戻ってきたアマーリアの代わりに前へと進んだ。ここで何か言葉を返すと声が裏返ってしまうから、ただ手でジェスチャーを返した。心配ない、と。
私の頭の中は何かを心配する余裕もないほどに真っ白だった。