第1回更新一言メッセージ

精霊協会本部から子供の足で30分ほど。ハイデルベルクの大通りから路地裏を抜けた先、小さな通りにその建物はあった。大通りと比べると随分小さな通りだが、少し首を回せばいくつかの屋台や馬車が目に映る程度には人通りがある。そして、私の目の前にある何の変哲もない小さな建物。元協会の冒険者が経営しているというそこが、私に紹介された宿だった。経営者が元協会員とはいえ、利用者の殆どは一般の冒険者であると聞いている。
ドアを一つ押し開ければ、ロビーには数名の若者たち(と言っても私の背丈よりはずっと高い)が談笑していた。外に逃げていく風と共にコーンスープの甘い匂いが運ばれてくる。彼らは夕食の時間が来るのを待っているのだろう。その腰に下げられた剣がただの鉄であることを確認して、私はその足を前へ進めた。
受付の女に協会から渡された会員証を見せると、彼女は驚いた様子もなく部屋まで案内してくれた。老婆がうたた寝をしている角を曲がり、階段を上った先。突き当りにあるうちの一つが私の部屋だった。

内装の確認もそこそこに、肩に下げた荷物をテーブルに置く。ハイデルベルクを目指してから、建物の中で休めたことが何回あっただろうか。外敵の心配のない静寂に、一つ溜め息をつく。荷物の紐を緩めて顔を上げれば、左右の反転した私の体が目に入る。最後に鏡を見たのはいつだっただろうか。私の顔は記憶にあるものと比べると随分と痩せこけ、艶をなくした枯れ草色の髪の毛は首元で二つに結ばれしな垂れている。先程協会で精霊石を縫い付けられ、修繕された上着だけが澄ました顔をしていた。小奇麗に直された服装との対比で、随分と自分の体が汚れて見える。
本来は大人を映すために作られただろうその姿見は、どうやら私の体には大きすぎたらしい。本来の機能を果たしていない鏡の余白には、木で組まれた天井と、薄汚れた白い壁。夕焼けの赤色に照らされて、どの色も静かに熱を持っていた。
改めて見渡すと質素な部屋だ。最難関の試験をパスしたエリートがこれから生活するような部屋とは思えない。もちろん精霊協会がこんな建物しか提供できなかったわけではない。希望さえすれば窓からハイデルベルクを見渡せる宿舎や、貴族の令嬢が佇むようなベッドも与えられただろう。協会本部には精霊術を駆使した最先端の宿泊施設もあると聞く。そんな環境をあえて拒んで、このような場所に居座る私は偏屈なのかもしれない。

外の景色が気になり、白い枠で区切られた窓に近づく。私の膝に潰されて、窓の手前に置かれたベッドが小さく悲鳴を上げた。太陽はついさっき屋根の向こうに隠れてしまったらしく、岐路を急ぐ人々で通りは賑わっていた。露店を開いていたおばさんは店をたたみ、冒険者らしき集団が町の地図を睨む。仕事帰りの痩せた眼鏡はくたびれた顔で流れる石畳を見つめ、がたいの良い男たちの片手にはもう酒瓶が握られていた。
通りを駆け抜けていく子供の群れ。私よりも小さいだろうか。それとも同じぐらいかもしれない。帰る場所のある彼らは、暗くなっていく世界にも構わず寄り道をして、はしゃいでいる。あの子供たちが家に辿り着くころには、辺りはすっかり暗くなっているのだろう。そのころには丁度夕食の準備が整っているのだろうか、それとも夕食に遅れて怒られるのだろうか。
長らく遠ざかっていた日常のフィルムが、ガラス一枚を隔てて私の前で回される。それはいつか旅の途中で見せられた、精霊術で描かれた上映会のようだった。

気が付けば、外の赤色はすっかり屋根の縁まで追いやられ、視界はすっかり紫色に染まっていた。通りを行き交う人もまばらになり、ここから見える窓に一つ、一つと明かりがついていく。
振り返ると、踏み入れた時に見た部屋とはまた違う、暗い、暗い闇が広がっていた。
これが私の世界。窓のこちら側が、私の居場所。机の上に置かれたランプに、私の右手が伸びていく。もう、夜は私にとって怖いものではない。むしろ恐れられるのは私の方なのだろう。
こうやって火を灯すことで退けられる側の生き物。

ネクロマンサー。

果たしてその呼称が正しいのかどうかはわからない。それを名乗るには小さすぎるかもしれないし、あるいはもっと醜いものかもしれない。
適不適の議論は置いておくとして、今私は精霊協会でネクロマンサーを名乗っている。協会の外側に対しては占い師だったかまじない師だったか、そんな当たり障りのない職業で通っているらしいが。
しかしおかしな話だ。人々の平和を守るための組織が、人々から忌避されるネクロマンサーを匿っている。聞けば彼らは神でも悪魔でも拒まないらしい。あの協会には人から神から、この世のものでないものまで、あらゆる生き物を『冒険者』として内包している。
『精霊術』という特別な技術を組織内に抱えていることで、彼らはどの国家にも縛られない、中立的な立場を維持することができている。外にいるときはそう聞かされてきたし、実際に出会った誰もがそう認識していた。だが実際に内側からその姿を覗いてみれば、精霊術の脅威と同じぐらい、精霊術を扱う術者自身も他国から見れば脅威になることに気付かされた。今日一日、登録のためにすれ違った冒険者の中に、いったい何人の化け物が紛れ込んでいたのだろう。
精霊協会。この世界におけるパワーバランスの頂点というよりは、むしろもう特異点。

私の指がくるりと円を描けば、赤く灯ったランプの灯が勢いを増して暴れだす。ランプから溢れ出したそれは指の動きをなぞるように飛び上がり、青白くその光り方を変えた。
私の体が扱える死霊術では、私の望みは叶わない。もっと別の方法を見つけなければ。人を伝って探し出すか、あるいは協会の化け物たちに跪いて力を賜るか。もう求めるものはすぐ傍まで近づいているはずだ。どんな方法を辿ったとしても、私の望むものはきっと手に入れてみせる。

フラウベリー・エスカルーア。
ネクロマンサーを名乗る少女が、空を浮かぶ炎を見つめて呪文のように何かを呟く。
青い炎で描かれた八の字メビウスが、彼女を取り囲むようにゆらめいていた。

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