第8回更新一言メッセージ

 いつもの路地裏を抜けると、眩い太陽に照らされたハイデルベルクの大通りへと出る。静かな路地裏の世界から得体の知れない人だかりに放り込まれる瞬間は、いつまでたっても気分が悪い。精霊協会に所属して早二か月が経とうとしているが、私の体は未だこの光に満ちた世界に順応できていなかった。路地裏との輝度差に目をしばたかせていると、遠くのほうから馬の蹄と車輪の音が近づいてくる。幾度となく護衛の依頼を受けた私には、それがなんであるのかは薄目を開けて確認するまでもなかった。今日も隊商が精霊街道へ向かって馬車を走らせる。私が普段護衛を担当するのはカルフとの交易をする南行きの隊商だが、ここですれ違うということはあれは北行き。できれば北の地方へ行かされる以来は当分お断りしたいものだ。私が必死で辿ってきた足跡を、もう一度踏み直すのは気分が滅入る。
 遠ざかる馬車の音を振り払って、私の足はいつもの広場の方向へ向かっていく。とはいっても、今回用があるのはその広場ではなく精霊協会だ。この足で通った回数で言うならば、広場よりも協会への道の方が多い。協会の図書館保管されている文献を漁るため、依頼のない日はいつもあそこへ通っているからだ。尤も、この二ヶ月で得られた成果は喜ばしくはない。過去の模擬選の記録や依頼の記録や、精霊術の扱い方についての資料はいくつか見つけられたが、私が本当に欲しいものはそれではない。
 召喚精霊と融合し、劇的な身体能力を手に入れる術。相手の体内の精霊力をかき回し混沌とさせ、まともに歩くことすら困難にする術。ここに来るまでの間に耳にした、禁忌とされる精霊術の噂はどれもただの噂に過ぎなかったのか。幾多の文献を読み解いたところで、未だそれらの術のしっぽすら掴めない。歴史の中に揉み消されたのか、あるいはもっとどこか、厳重に保管されているのか……。
 考え事をしながら歩いていると、急に横風が強くなった。周りを見渡すと、どの人もいかにも寒そうに身をかがめながら道を歩いている。なるほど、いつの間にか私は橋の上に辿り着いていたらしい。この時期になると水とともに流れてくる風は、耐寒を怠った人々には手厳しい空気を運んでくる。普段から冷気を扱う私にとっては、冬のこの空気のほうが心地よいのだけども。口に一つ深呼吸をさせて、冷たい空気を体の中に送り込む。ただ、送り込むだけの動作。思考に浸っていた心を前に向ける。目の前には小さな山と、その中腹にそびえ立つハイデルベルクの城。私の目的地はあの麓。今回の依頼は今迄のゴブリンのように甘くはないと聞いているが、こちらも人間相手の模擬戦はすでに何度か繰り返している。特に一対一の戦いでは負けたことがない。果たして精霊戦士隊を名乗る部隊の実力は如何程のものか。吸い込んだ冷たい空気をそのままの温度で吐き出して、私は少しだけ軽くなった足を前に踏み出した。