偽島二期の間に並行して20更新のだけ間運営された、おまけゲーム的な位置づけの栗鼠ゲです。毎回デュエルが発生し、マナを奪い合いました。マナをすべて失ったら強制sakujoの殺伐ワールド!
確か私は探索6日目にデュエル・通常敵に負けて、ゲームオーバーにより7日目に強制sakujoとなっていたはずです。いろいろと忙しかったのもあって、あえて最速ゲームオーバーを目指していました。が、序盤の救済措置で5日まではゲームオーバーできなかったので、最速単独とはなりませんでした。
ゲーム後半は徐々にマップが崩壊し、生き残った人たちは最終的に4つのマスで戦うことになりました。デュエルからは逃がさないという運営の暖かな心遣いですね。
ゲームは当初の予定通り20日目に終了となりました。ちなみに新規登録できるのは初回更新時のみでした。
殺伐とした世界ではありましたが、デュエルに負けたとしても通常戦に勝てばマナは得られてゲームオーバーは回避できたようなので、そこまで厳しいゲームではなかったようです。 続きを読む
定期更新ゲーム
【Sicx Lives(2011.11~2012.6)】
ゴア・トーテス【Sicx Lives:セルフォリーフ(2011.11~2012.6)】
レインシア・ロスト【Sicx Lives:アンジニティ(2011.11~2012.6)】
2キャラいますが、一つのゲームなので同時に紹介。このゲームには二つの世界が存在し、プレイヤーはそれぞれの世界に一人ずつキャラを作ることが出来ました。セルフォリーフが比較的平和な世界、アンジニティはバンバンPKやっちゃってくださいみたいな危険な世界という住み分け。
レインシアは後日お話する生☆ALIVE学園の2期を想定したキャラでした。召喚・叩射のモーニングスター少女。2期が来なかったのでそのまま没キャラとして漂っていましたが、それから6年経って当時と同じ技能名を使った栗鼠ゲが出てきたので投入することに。
結果的にどちらの世界でも召喚夢幻を習得して、それがメインな形になっていました。ソロだと数が増えるのはそれだけで安心感が段違いです。今思えば栗鼠ゲではずっと召喚か魅惑は習得していたのでした。
セルフォリーフがMAP1、アンジニティがMAP3で、MAP2はいったいどこだったのかなど、いろいろと謎が多かったですね。しかしながら多くの謎を残したまま19回更新にて突然
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リステリーネ・フォートレイン【常闇のカレイディア 1期?(2008.10頃)】
ハザロカニア【Break The Dawn (2013.11~2013.12)】
炎大斧運極振りという、運を天に任せる豪快なステータスで登録していました。というのも、戦術指南書で運にステータスを振りすぎるのはやめた方が良い、ようなことを書かれていたので、運に極振り以外の選択肢がなくなってしまったのです。
完全新規のゲームとしては近年稀に見る参加人数だったのですが、残念ながらいろいろありまして初回更新後に運営終了となってしまいました。
【キャラ設定】
蝋化や炎の魔術に長けた人間の少女。生まれつき精霊との感受性が高く、精霊との結びつきの強さから、その体は日々人ではないものへと変化していた。
元は内気な少女だったが、近年は脳の蝋化の進行によって深く物事を考えられなくなっており、楽しいことだけを求めて放浪している。性格が変化する過程で肉親には見捨てられており、失踪した彼女を探す人間はいない。
やがて肉体全てが蝋となり、彼女が蝋で出来た魔物となる日は近い。
ウォルス・オルネヴィー【DEAD AND ALIVE ~Mana of Wishes~(2004.2~2005.3)】
ウォルス・オルネヴィー【DEAD AND ALIVE ~Mana of Wishes~(2004.2~2005.3)】
対人戦の比重が大きかった栗鼠ゲでした。毎回今で言うCPに相当するマナを奪い合う対人戦が三回、さらに強力なリベンジ、アサルトがマッチングされると毎回最大5回の対人戦が目白押し。
珍しいシステムとして、技の効果は入力したキーワード(≠技名)で発揮されるというものがありました。そのため、各自がいろんな文字列を入力して自分に合った技を探し、時にはあんなワードやこんなワードが多くの人に共有されることに。
このゲームでは全員召喚持ちでPT組もう! という募集に乗っかって4人パーティで最後まで続けさせていただきました。
ゲームは栗鼠さんの環境の変化により、50回更新時点で全員バッドエンド? となって終了。参加キャラクターは皆エルタ・ブレイアの世界に隔離され、残ったマナを奪い合うサドンデスが行われることとなりました。
ゲームの進行度自体は、25×25のマップで最後の一列を残したところだったとおもいます。マップまでは保存していないので確証はありませんが。
当時はパソコンの容量が不安で全体圧縮結果を保存せず、自分の周りの結果だけ圧縮して残していました。なんだかそういうパソコンの性能に歴史を感じます。
実際のところ圧縮したままならきっと全部残せたのだと思うのですが、全部展開したら余裕でアウトな容量だったのは記憶しています。結果ファイルの容量はあくまでテキストファイルなので今も昔もそう変わらないのですが、栗鼠ゲは後半になると1更新分展開して1GBとかになってきますからね。当時使ってた家族共用のパソコンに残すにはいっぱいいっぱいだったのです。