第32週目




 ハイドラの機体の上から見る景色は真っ白だった。
格納庫の天井がぼんやりとした灰色を映し、地上にいるはずの人影は見えない。
これが、私の目を通して見る最後の景色だ。
 私は一糸まとわぬ姿でハイドラの上に立っていた。
足元にある操縦棺には、液体がたたえられている。
 それは操縦者の脳から出される電気信号とハイドラとを中継する液体だ。
そして、ハイドラのエネルギーを供給するために、操縦者の肉体を分解する液体でもある。
やがて操縦者はハイドラによって分解され、ハイドラが動くために必要な神経だけが残される。
もう私がこの棺の外に出ることはない。だから、不要なものは身につける必要もない。

 そう、私はもうこの棺の外に出ることはないのだ。
棺の外には両親も、姉も、兄もいない。
もう、誰もいない。
右手に持った亀の置物を、強く握りしめた。

「最後に、一つだけ聞いてもいいですか?」

 格納庫の中に、私の声が響く。
アフトクラティらの発進のため、格納庫からはあらゆる機材が撤去されていた。
空っぽの格納庫では、ハイドラの上からであっても簡単に声が届いた。

「えぇ、何でしょうか」

 この人はこのハイドラを作った企業、その営業の人。
最初に出会ったのは私達兄弟が家から出る前、両親と一緒にだった。

 私の患っている病気は今の医療で治すことはできないけれど、このハイドラに乗れば普通に生きるより長く命をつなぐことができる。
そういう謳い文句で彼は両親を丸め込んだ。
 ハイドラに搭乗して、私の命を繋ぐ。
そうすれば薬を買うための莫大なお金も必要がなくなるし、
むしろ戦場で活躍すれば報酬だって手に入る。
肉体は失われるけれど、神経はハイドラを動かすために残される。
"私"という意識は、この世に残る。
残像領域では生きていけない身体を捨てて、意識だけがハイドラと共に生き続けるのだ。
私が死なないために、両親が選んだ選択肢。
 そして今、私が逃げ出したそのハイドラは、再び私の目の前に差し出された。
ハイドラの購入費用は、姉と兄の弔慰金を合わせた額とほぼ同じだった。

「……大丈夫だよ。ここよりも空気が良くて、設備も整ったところで治療するんだから。
 きっと元気になって──」


 あの日、私がこのことを伝えていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
私が誰と出会って、何を話していたのか。
 姉と兄をハイドラライダーに勧誘したのがこいつだったなんて、思ってもみなかった。
この組織は、最初から私をハイドラに乗せるために動いていたんだろうか。
それとも、私の家を潰すことが目的で、この結果はそのおまけだったんだろうか。
あるいはそのどちらでもなくて、たまたま目の前に飛び出してきた鳥を撃ち落としただけなのか。

 でも、もう。
もう、全部終わったことだ。私が事実を知らなくても、良いことだ。

「…………いえ、やっぱりいいです」

 誰が私の家族の死に関わっていて、誰が本当に悪い人間だったのか。
私にはそれを知るための力もないし、時間もない。
調べたところで、それが本当かどうかもわからない。

だから。

だから、眼の前にいる、せめてこいつだけでも──!




「……何をするつもりですか?
 この基地を壊したところで、何の慰めにもなりませんよ!
 聞こえてますか!?」

「チッ……これだから話の通じないガキは……!」

「本部! 本部! 聞こえてますか!
 被験者を『女王』に乗せ終わりましたよ! 計器を確認してください!
 えぇ、えぇそうです! 手当金は妻の口座────」





 閃光が基地を貫き、その場にあるもの全てを焼き払う。
領域殲滅WH『アフトクラティラ』が、基地の断末魔とともに動き出した。